叔父さんの思い出。
あーん、明日は6時半起床なんですよ。いつもお昼頃に起きているスーパーナイトオウルのわたしが!
全然眠れない‥‥。
しかも頭がセンチメンタル。叔父が亡くなったんです。親族の死去というのは、ある程度覚悟ができていても心への負担が重い。
叔父さんはわたしの父の妹の旦那さんで、引退後はわたしの実家の隣に夫婦で住んでいた。現役時代は馬込の坂上で八百屋系ミニスーパーを経営。わたしはそこで、高校時代にバイトさせてもらっていた。
叔父さんと叔母さんは、有名な仲良し夫婦。お互いが自慢の存在で、好きで好きでたまらない感じが常にダダ漏れ。なかなかこの世代で珍しい。ボーリング場で出会ったんだそうだ。
そんな仲良し夫婦のお店なんで、彼らに会うために来るお客さんが多い。正直いって、近くの東急ストアよりも値段は高かったのに、みんな喜んでこの店で買い物をしていく。
なんか知らんけど、「いっぱい買い物して、叔父さんと叔母さんが喜んでくれたら幸せ」と、みんなが思っている様子だった。たくさん買ったからって、愛想良くペコペコするわけでもないのに。むしろ、「これは築地で一番いいやつを思い切った値段で仕入れてきてやったんだ」と威張ってるぐらいの態度。そういうとこが好かれていた。
確かに品数は多くないけど、自分の目で確かめて自信のあるものしか置いてない。そういうところが信頼されてたんだね。
高校時代、わたしは夜の一番ヒマな時間にレジでボーッと立ってるだけの担当。これがわたしが生まれて初めてしたアルバイト。万事、気の利かない働き手だったが、一度も怒られたことはなかった。
知らず知らず、色んなことを教わったものです。
あまりにも暇なので、「お客さんが1時間に3〜4人しか来ないこともあるのに、時給700円ももらって大丈夫なの?」と、叔父さんに聞いたことがあった。「ここのお店は夜でもやってるんだなと思われるだけで価値があるんだよ。いつでもやってると思うと、昼間でも夜でも安心して来れるでしょ」と言われた。今思うと本当だなあと思う。当時はよくわからなかったけどね。
もらったバイト代でわたしは、コンサートのチケットを買ったり、バンド練習のスタジオ代を払ったり、レコードを買ったりした。お金の使い道が今とほとんど変わってない。
ときどきジャズドラマーのジョージ川口さんが買い物に来た。すぐ近くの豪邸にお住まいだったのだ。当時わたしはバンドでドラムをやっていたので、プロのドラマーさんなんて雲の上の人。お顔を見るだけで大興奮。いつも気楽に話しかけてくださって嬉しかったなあ。「川口さんいらっしゃらないかな」と毎日思っていた。そんな滅多に来ないのに(笑)
あるときお客さんに、「ここにあるインスタントラーメンの中でどれが一番美味しいですか?」と聞かれた。わたしは自分が一番食べてみたかった高いラーメンをお薦めした。食べたことないのに。
あとでそのことを叔母さんに言ったら、「高いのを食べてみたい気持ちはわかるけど、お客さんに嘘を言ったらいけないよ。自分が食べた中で本当に美味しいかどうか知ってるものを薦めなさい。それが安物でも、本当に好きなら恥ずかしいことじゃないんだよ」と教わった。
愚かなわたしは、高い商品を売ったことを褒められるかと期待していたのだ。叔母さんの言葉にショックを受けた。でも同時に、自分自身の価値観を認められた気がして嬉しかった。それからは、お客さんにお薦め商品を素直にお伝えするのが楽しくなった。
のちにわたしがコピーライターになったのは、このバイト経験が源流だったのかもしれないと今気がついた。
叔父夫婦は高齢化をきっかけに店を畳み、二人はわたしの実家の隣に引っ越してきた。その頃もうわたしは八雲に住んでいたので、お隣さんとしての交流はほとんどしてない。ただ、叔父さんの漬ける天下一品の白菜漬けがときどき回ってくる程度。あれはなんであんなに美味しかったのか。
3年前、叔母さんが亡くなった。叔父さんの憔悴っぷりは甚だしく、本当に気の毒なくらい。
お葬式の日。「僕は彼女と出会って、一緒に生きてきて、本当に楽しくて楽しくて、ただただ感謝、感謝のひとことしかない。それだけです。弔辞を終わります」とだけ言った。
心のこもった最高の弔辞。これ以上の言葉が他にあるもんかね。叔母さんはとても幸せな気持ちで旅立ったことだろう。
あれから3年。一人暮らしになった叔父さんが倒れているのを、うちの弟が見つけてガラスを割って入り救出した。入院して、その日から半年で亡くなった。
歳も歳だから、いくつかの病気も抱えていたけれど、本当の死因は叔母さんがいなくなっちゃったことだと思う。絶対、叔母さんのところに早く行きたかったはず。
昨日のお通夜、天皇陛下にいただいた勲章が飾ってあった。地域活動に貢献したことに対する評価でしょうね。でもその反対側に飾ってあった、夫婦の似顔絵と親しい人たちからのメッセージのボードがひときわに輝いていた。彼らの存在に自分たちがどんなに救われたか、恩義の言葉で埋め尽くされている。どの言葉も通りいっぺんではなく、具体的で真に迫る。
なんて幸せな人生だったんだろう。おめでとうと言いたい。
明日は葬儀。喪主はわたしの従姉妹。彼女はとても美人で頭もいい。それが長年わたしのコンプレックスだった。いや、今もそうかも。
しかしこの歳になって会うと、それぞれに戦いの人生だったねと肩を叩き合いたいような気持ちになる。彼女は3人の男の子を立派に成人させ、孫も何人かいる。旦那さんが若くして亡くなり、会社を引き継いで今も経営している。
わたしはずっと独身でフラフラ。有名な大学も行ってないし、仕事は好きなことをマイペースでやってるだけ。全く痩せなくて彼氏とかいたことなさそうにきっと見える。従姉妹の人生とは雲泥の差だね。
まあそんなこと、どうだっていいさ。わたしはわたしで自分なんだ。
そんなこんなで、色々やることがあって今週は土曜日までお休みをいただいています。また日曜日から元気にお会いしましょう!
あと1時間しか眠れない!
#funeral
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