「ロケットマン」を観てきました。
「ロケットマン」観てきました。エルトン・ジョンの伝記映画ですね。
「ボヘミアンラプソディー」をブライアン・シンガー監督が降りたあと引き継いだデクスター・フレッチャーの監督作品てことで。
ロケットマンというとどうしても、ふかわりょう(自由が丘民)の顔が浮かんでしまうのはわたしだけではないはず。
それはさておき、音楽映画としては楽しかったです。名曲の演奏シーンはリアリティーがあって素晴らしい。特等席で音楽制作の現場やコンサートの裏表を見せてもらってるようでワクワクした。
伝記映画としては、「本人はこれでいいの!?」というのが率直な感想です。本人も製作総指揮に名を連ねているというから良いのでしょうけども。
人生に良いことだってたくさんあっただろうに、暗い面ばかり強調する見せ方は何かの戦略なのかしら。
以下ややネタバレ。
「スーパースターなんて金があってもプレッシャー強くて大変だよね」「スーパースターは孤独って本当なんだな」「スーパースターでも愛に恵まれない人生は悲惨だね」と大衆は思いたいものなんでしょうか?
とても一面的な描き方をわざとしてるように感じました。そのように描くことにより、スーパースターではない観客たちにカタルシスを与えてる図式?
まあそれでもいいですけど、結果的に現在のエルトンが公私ともに幸福である事実が救いになりました。死ぬシーンがない伝記映画っていいね。
わたしがアッと思ったのが、エルトンが歌詞を見ると指先からメロディが溢れてきて止まらなくなると言ったシーン。
エルトンは詞先なんですね! わたしも詞先のほうが曲を作りやすい派なので、仕上がりに1億万光年ぐらいの差があるけど親しみを感じてしまいました。まさに、歌詞を見るとメロディが流れてくる感覚がある。
そして(完全にネタバレでごめんなさい。どうしても書きたい)、「本名の自分のままでいいの? なりたい自分を演じ切って、スターという別人になってしまえばいいんだよ!」という台詞に勇気をもらってしまいました。
わたしにとって、この言葉が一番大事だったな。わたしもハジケたい。
色々と思うところありましたが、観て良かったです。皆さんも劇場のドルビーサウンドでぜひご鑑賞を。
今回はセリフの英語の80%ぐらいを聴き取れた感じがしたぞ。一歩一歩、進歩だあ。
#映画
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