映画 「ピアノが愛した女」の感想。
矢野顕子のドキュメンタリー映画、「ピアノが愛した女」を観てきました。
1992年に初公開された作品のレストア&リマスタリング版。矢野顕子の代表的名盤『SUPER FOLK SONG』のレコーディングに完全密着した記録映像です。
天才矢野顕子のピアノと歌だけの一発録りレコーディング。と聞いただけで震えますね。怖ろしや。
しかしこの人は怖い人じゃなくて、確信を求めている真面目な求道者なのだと感じました。今のテイクはダメと彼女が言うとき、何がダメかって確信を捉えてないから。そう思っているようであった。「なんとなく良い感じ」ではダメなのだという妥協のなさ。
OKテイクのときの満ち足り感。確信を捉え、なおかつなんとなく良い感じ。そうなのよ、結果的に「なんとなく良い感じ」にたどり着く。そこが矛盾してるようでいて、しっかり結びついている。
何テイク録っても、歌もピアノも毎回違う。どれが正解というものでもないらしい。しかしミスは許さない。
彼女のマネージャー(アメリカ人のDavidさん)がこう言った。(ネタバレあり)
「ミスに注目するな。アーチストは批評家にはなれないんだよ。演奏しながら批評してはいけない。ミスばかり気にしているから良くないと思ってしまうんだ。キミは特別なんだ。最高に素晴らしいよ。ものすごい才能じゃないか」
矢野顕子はこう答えた。
「でもミスはミスよ。見逃せない。わかっているの。基本的にはわたしは自分をとても信じている」と。
痺れるね。たまらん。
そのあとのレコーディングは何か振り切れた感じで明るかった。
その場に誰がいるかで、音は随分と変わる。ライブもそうだし、レコーディングならなおさら。オーディオ再生でさえそうだ。音楽って不思議ね。
『SUPER FOLK SONG』は主に日本人アーチストによる1970年以降の作品を矢野顕子がカバーしているアルバム。曲や詞を提供した人たちのインタビューが何本か挟まれている。
鈴木慶一さんが、とても気の利いたことをきちんとしゃべっていてびっくりした。慶一さんはなんだかいつもフワーっとしてて冗談ばっかり言ってるイメージなんだもの。
しかもとても若かった。当たり前なんだけど、今とだいぶ違う。そう感じるのは、インタビューに登場した人物の中で、わたしが一番好きなのが慶一さんで、一番よく見かけてるからだと思う。
あまりにもしょっちゅう様子を見てるから、変化に気づかなかったんだよ! いつの間にか歳をとってたよ、慶一さんもわたしも。
それにしても、慶一さんが作ったはちみつぱいの「塀の上で」は良い曲だなあ。この映画の最初の最初にこの歌が出てきて、いきなり心を掴まれちゃった。
映画を観て改めて思ったのは、矢野顕子はピアニストなんだということ。どうしてもわたしは自分がピアノを弾けないから歌のほうに意識が向くけど、矢野さんはピアノありきなんだなあと思った。その上での歌なのね。
というかピアノと歌と心が完全につながっている。だからピアノと歌は別録りじゃダメで、一発録りで弾き語りじゃなきゃありえないんだ。前半と後半でテープをつなぐのも絶対ダメって言ってた。一曲まるごとで、ひとつのたましいだからなのでしょう。
完成したCDを聴くと、矢野顕子は何ひとつミスしない天才としか思えない。そういう人でも、これだけ葛藤して闘っているんだという姿を見ることができて良かった。
矢野顕子のCDって昔から異常に音が良くて、異常にミュージシャンがハイクラスですよね。「良い作品を作るには前の作品で得たお金を全部使う勢いで」と、昔ラジオで言ってた。
この映画もすごく音がいい。わたしは1992年の公開時はなぜか見逃してる。今回初めて観た。
リマスタリングの技術もすごいんだろうけど、元々贅沢な音のCDよね。あと、映画館も音が良くなりましたよね。
新宿バルト9、ほぼ満席でした。明日の日曜日までの上映。迷うなら絶対観るべきと思います。
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