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2016.05.23

神社参拝は横広がりでいいんじゃない?

神主も困惑…行列を無駄に長くした「整列しすぎる参拝者」というネットニュースを読みました。

この現象、最近ますます広まっていますよね。元々は5年ぐらい前から初詣で整列参拝する人たちが現れて、それを引きずって普段から並ぶようになっていったような印象です。

このごろは、行列が長くて参拝を諦めることもしばしば。お賽銭を入れずに鳥居の隅っこのあたりでご挨拶だけして帰ります。

まだこの現象が広まっていない頃に、長々と参拝している母子連れの方の横からお賽銭を入れてすぐに後ろに下がって参拝したことがありました。お母さんが聞 こえよがしに子どもに「順番なのにね」と話しかけ、不快そうな顔をしました。それ以来、横からお賽銭を入れるのはやめました。

整列参拝派の人にしてみれば、「誰にも邪魔されずに真正面で丁寧に参拝して神様に願い事を全部聞き届けてほしい」ということなんでしょうか。

毎日仕事で神様とお話させていただいている一介のスピリチュアルカウンセラーの身としては、神様はたとえ同時に何千人、何万人が祈っても全部聞いているから大丈夫よと思います。

昔、神様に神社参拝の仕組みを映像で見せていただいたことがあります。

参拝者の身元と文言(願い事や誓いやお礼など)は、すべてデータベース化されて一旦預かりになります。

次にそれぞれの人の氏神様または産土神様に問い合わせが行って、素性や普段の行い、信仰の度合い、今世での宿題などと照らし合わせて、各部門担当の神様にも相談が行って、願い事や誓いをどのように扱うか決められます。

その結果、叶うことがその人にとってたましいを有効に使えるとなれば、たいへんスピーディーに願い事が叶うこともありますし、叶わないほうが現世の学びに相応しいとなれば、却下されることもあります。どちらにしろ、すべての願い事は審議されています。

お賽銭は、神様に来訪を告げる合図であると同時に、神社を守ってくださっている神職さんへのお礼のお金でもあります。願い事を叶えてもらうための頼み賃ではありません。

なので、お賽銭は神様や神職さんへの感謝の気持ちを表すものであり、金額が多いと叶えてもらえるというものではありません。金額の多さで、思いの深さや誓いの強さ、感謝の気持ちを伝える手段にはなります。

御祈祷を受けることはお賽銭とはまた別の話で、心身ともに穢れを祓い、新たな誓いを立てる際には有効です。神様に仕える神職さんの手を借りて御祈祷を受けるのは、まさに一対一で神様の波動を直接的に受けることになるので、禊の力が桁違いなのです。

実感として思うのは、神様に奉納したお金はすぐに何らかの形で返ってくることが多いです。思いがけずどこかでサービスを受けるとか、仕事がまとまって入るとか。神様は割とわかりやすく、わたしたちに存在を伝えてくれているのです。

神様がしてくれたことに対して素直にすぐ気がついて、「ありがとうございます! 」と言える人は、「また喜ばせてあげよう」と神様に思ってもらえます。

神様に感謝すると同時に、幸運を与えてくれた関係者にきちんと喜びと感謝を伝えることも大切です。そこまででワンセット。神様だけに感謝して、人に感謝することを忘れている人が案外多い。

そういった流れなので、神社参拝は整列しなくても大丈夫だし、何万人いっぺんに願い事を唱えても大丈夫だし、一対一で賽銭箱の真ん中で祈らないと願い事が叶わないなんてことは全くないと言えます。

そもそも神様は、大我の愛(多くの人と幸せを分かち合う心)を持つ人が好きです。

小我の愛(自分と身内だけの幸せを優先してほしい気持ち)が強い人は、稚き者(まだまだ初歩から修行しないと命を与えられた意味が理解できない人)として扱われると思います。

たましいのレベルは生まれ持ってのものもあるし、人それぞれなので、小我の愛の人や、稚き者が悪いわけではないのですが、大我の愛の人のほうが神様と寄り添って生きやすいでしょうね。

賽銭箱の前を独占したいという気持ちは、どう考えても小我の愛だと思うので、どっちかっつーとやめといたほうが良いんじゃないかと思います。

長くなりましたが(笑)、そんなわけで、参拝は横に広がっていっぺんに大勢でしましょう!

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