今日はミッドタウンで行われた、「響会(ひびきかい)」のトークイベントを見に行きました。
ボイトレ師匠の楠瀬誠志郎さんと、フラワーデザイナーの塚田有一さんによる「月しろ」をテーマにしたお話。お話のあとは、楠瀬先生が選んだ本日の音のメニュー、松戸の曹洞宗のお寺に700年前から伝わる不思議な鐘の音に耳を傾けました。
その鐘は、一撞きで二つの音が同時に鳴る珍しい鐘。音が二つ鳴るというだけでなく、音の持つ特性自体に非常に強い個性があり、なんとも想像力をかき立てられるサウンドです。
鐘の音を聴いて、まず最初に見えたイメージは、行ったことのない病院の廊下。真っ白で、ありえないぐらい天井の明かりが強く光っていて、赤ちゃんの声が響き渡っていました。
病院は、産まれる場所でもあり、死ぬ場所でもある。凄まじい生誕のエネルギーと、静かな死の気配が混在した空気。月もまた、満ち欠けによって、生まれては消えてゆく存在。鐘の音を聴きながら、そんなことを思いました。
また、二つの音が同時に鳴る鐘という存在自体について考えるのも面白く。音が二つあっても、一つずつ別々に鳴ることはなく、一撞きで全く同時に鳴り始め、鳴り終わる。しかもその音階が、ファとシ♯の二音で、とても近い音なのです。
近いのに一つに重ならない。700年の歳月を経ても、ずっと平行線。これからの未来も永劫に近くて同じにはならない。似ているものは同じものではない。近くにあってもこれ以上近づけないことを運命づけられている。それでもお互いがお互いのために存在するもの。まるで月と太陽のよう。
さらに驚くのは、二音が同時に鳴るのは夜の間だけで、昼間鳴るのは一音だけということ。夜は特別な時間だと語りかけているのでしょうか。
夜は音を素敵に聴かせてくれる時間帯であることを、音楽ファンの人ならきっと知っているでしょう。同じ音楽を聴いても、朝と昼、昼と夜では全く違うサウンドに聴こえるのは人間の不思議ですね。まるで窓のない密室のオーディオルームでも、そう感じるのが面白い。
この鐘の音をベースに、楠瀬先生がオリジナルの音源を加えて、祈りを感じさせるエレクトロサウンドを披露してくれました。エニグマのようなorbのような神秘的な響き。鐘の音の緩急はまちまちなのに、現代的なエレクトロサウンドがものすごくマッチしており、かえってその変則的な鐘の音が単なるビートではなく、心を撞く響きになっています。
こういうのを聴くと、改めて楠瀬先生は天から才を預かった天才なんだなあと私は感じ入ってしまうのです。私はこの人生で、本当に良い師に巡り逢えました。
その音楽をBGMに、塚田有一さんによるライブの生け花が生けられました。塚田さんの生け花がまたものすごく、塚田さんはやっぱり本物のアーチストなんだなあと感慨深い。私の目の前で、ため息が出るようなマジックが瞬間ごとに生まれました。
「月しろ」をテーマにした作品は、左右二つの同じ器に生けられていて、全く表情の違う仕上がり。左のススキは「虚」、右の彼岸花は「盈」。塚田さんは器の後ろ側から、観客に見えるように生けていて、一度も前に回って確認などしてないのに、実に見事な美しさの作品を仕上げるのです。彼の目は一体どこについているのでしょうか?
それも、わざと葉っぱが折れていたり、必要以上にこんもりとしたボリュームを残したまんまだったり、一般的にはありえないようなバランスなのに、完全に美しいのです。まさに生きている花だと伝わる、花の命のエネルギー。
今日はたくさんのことを感じる一日になりました。命の満ち欠け、命あるものの力強さ、衰えゆくものの儚さ、共存と孤独、孤独と永遠。
はっきりした正解があるわけじゃないけど、想像の世界で心を解き放つのはなんともいえない知的な幸福感に満たされます。
今回このトークイベントは二週連続で行われ、来週の木曜日にも同じ場所に見に行く予定です。楽しみです♪ さっきまで空席があったのだけど、もう埋まってしまったみたい!
響会のイベントは、また11月にも行われるみたいなので、facebookでチェックなさるとよろしいかと思われます。